京王帝都電鉄社章入りJIS蓋

京王帝都電鉄株式会社(現・京王電鉄株式会社)の社章入りJIS蓋@代々木3丁目の文化学園大学沿いの道。

社章のアップ。

京王帝都電鉄は1948年6月から営業を開始し、現在も使用されている「KEIO」のCIロゴが1989年11月に制定されるまで様々なところ(車両や駅、境界石等)でこの社章が使われていました。

1980年代後半といえば、CI(コーポレートアイデンティティ)の導入が大流行し、各企業がこぞってCIに凝りだした時期。
CIデザイン全盛期で、古い物を一新することがトレンドでした。
CI戦略はもちろん重要ですが、見方を路上観察の視点に変えると、それ以前のように同じ企業内でも多種多様な仕様やデザイン、色使いがあった頃の方が収集の楽しみがあったかもしれません。

、、、話がそれました。

蓋があった場所を地図と照らし合わせてみると、ちょうどこの下に京王線(新宿〜初台間)が走っていて、すぐ近くには京王電鉄の天神橋変電所があります。
納得の設置位置です。

周りの風景はこんな感じ。

京王線は1964年6月まで地上を走っていて、その軌道の跡は遊歩道になっています。
現在は暗渠化されている旧玉川上水の流れと重なっていて、ところどころに橋の跡が残っており、
この蓋の後ろにも天神橋跡の記念碑が建てられていました。

道を挟んだ遊歩道沿いの公園にも同じ蓋がありました。

【余談】
これらの写真を撮っていたところ、近くを歩いていたお婆ちゃんから「調査ですか?」と声を掛けられました。
「いえ、京王帝都時代のロゴが入ったマンホールの蓋を……」とごにょごにょ説明すると、
「そういうものに興味がおありなら」と、小さい頃の話をして下さいました。

生まれも育ちも初台の方だそうで、京王帝都電鉄時代からよく利用しているそうです。
小さい頃父に連れられて新宿のパーラーでパフェを食べさせてもらうのが楽しみだったと、嬉しそうに話すお婆ちゃん。
甲州街道沿いにあった東京府の蓋(←本日一番の目当てだった)が撤去されていたという話をすると、戦時中の話もして下さいました。

小学2年生で第二次世界大戦が始まり小学6年生で戦争が終わったそうで、
「この辺も全部焼け野原でね。『欲しがりません、勝つまでは』。でも、負けちゃったけどね」と、ご苦労なさったであろう記憶を笑いながら話す姿には頭が下がる思いでした。そしてどんな時代、どんな状況であろうとも、子供はその中で楽しみを見つけるのかもしれないなと。

たまにこうした触れ合いがあるのも路上散策の楽しみの一つだと再確認した一日でした。